「存在しない女たち」という本を読みました。

「存在しない女たち」という本を読みました。
女性がいかに様々な面で不利益を被っているかをデータなどを用いて明らかにしています。

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今回はこの本を読んで思い浮かんだことをつらつらと、特に結論もなく書き残しておこうかと思います。

この本では先にも書いたとおり、女性が置かれている様々な状況が紹介されています。
それは、女性の地位の向上・改善を訴えるためなのかと思います。
確かに、それ自体は良いように思いますが、私はそれで良いのだろうか、と感じました。

女性が無視されている。だから女性が不利益を被らない世の中にしよう、ではなく、弱者をなくす、という視点に立って世の中を改善していくようにしなければならないのでは、と感じました。

「女性」というのは、世の中で忘れ去られている、無視されている、弱者を可視化しやすくするための一つの視点ではないでしょうか。
物事をざっくりと眺めているだけでは、わかることも少ないです。
昨今、重視されているデータ分析と同じでしょう。様々な視点でデータを見ることで、気付けることが多くあります。
「女性」というのは、それと同じで、今までは見えなかったものが見えるようになる、一つの視点ではないかと思います。
従って、女性という視点で見ているからといって、女性の地位向上といった考えになるのではなく、女性という視点で見えてきたもの、不利益を被っている人たち、すなわち弱者をなくす、という考え方をした方が良いように思います。
それに女性を女性とまとめても、様々な女性がいらっしゃいます。
また、世の中には、男性でも不利益を被っている人はいらっしゃるでしょう。
単に女性の不利益を明らかにし、不利益が改善されても、男性の弱者はそのままです。
男性の弱者は女性ではないから、では今の男性社会が女性社会になるだけでのようで、ただの権力闘争のように感じます。

まだまだ男性が社会で幅を効かせているとはいえ、女性の社会進出が進んできて、こういう本が出たり、他にも声を挙げられる状況ができてきているのでしょう。
この状況には少なからず、女性が持つ、人数の強みも生かされている面があるのかなと思います。
であれば、この女性が持つ、人数という強みを、女性の地位向上として使うのではなく、弱者という女性も含む、より大きな集団の地位向上に使った方が良いのではないでしょうか。
不利益を被る女性がいない世の中にしよう、ではなく、弱者がいない世の中にしよう、と言った方が良いのではないでしょうか。
多数決で物事を決めるわけではありませんが、そうはいえども人数は大きな武器でもあるかと思います。
それを活かして、女性の、ではなく、弱者の声をすくう仕組み、弱者が声を挙げられる仕組み、弱者が見える仕組み、そういうものを作って世の中を変えていく方が、より良いのではと思うのです。
それに、認識を変えたくないという人たちも女性が、と言われると正しいのか妥当なのかは別として、色々と理屈も言いやすいかもしれません、しかし、弱い人がいる、不利益を被っている人がいるからなんとかしないと、と言われて抵抗するのはなかなか難しいと思います。

とはいえ、女性は不利益を被っているわけですし、女性に多いでしょうし、耳目も集めやすいでしょう。それに、なんだかんだ言ってみんな大好き対立構造なところがあるように思うので、性別はわかりやすくていいでしょうか。難しいですね。