「お世話になります」は言われなくても面倒だと思っているでしょ

仕事でのメールの冒頭に「お世話になります」という挨拶を多くの人が書いているでしょう。私も書いていました。これについて不要だという記事を以前から度々見かけます。
京都にあるデータをつなげるという会社の書類選考にナノ秒で落ちた今日も見かけました。
「堀江貴文「メールに"お世話になっております"と書く人は最悪だ」」とか、すこし違いますが、先日は「「お疲れ様です」は社内メール に不要? 書き出しの挨拶について」というものもありました。
これらを見ていつも思うことを残しておこうかと思います。

こういった記事では、「お世話になります」と書く方がいろいろと言われますが、いろいろ言うべき相手は書き手ではなく、読み手の中にいるだろう人ではないでしょうか、と。

そもそも、こういった挨拶は欠かせない、と考えて書いている人はどれくらいいるのでしょうか。
明確な根拠はないですが、私はほとんどの人が書くのが面倒だと思っているのではと考えています。既述の後者の記事では、「お疲れさまです」についてですが、「なんとなく」「みんなが書くから」という理由で書いている人が多いように書かれています。
大体、いちいち「お世話になります」や「よろしくお願いいたします」などを一字一字入力しない人も多いでしょう。私は「おせ」などと入力すると変換されるように辞書登録していました。
辞書登録までして挨拶を記載するのは、ひとえに、挨拶が無いことについてごちゃごちゃ言う人が居るかもしれないからです。「なんとなく」や「みんなが書くから」も根は同じ様な考えに近いのではないでしょうか。

実際、このような簡単に無視できるどうでもいいようなものが存在することに、処理能力が低いだのなんだの言う人がいるのですから、存在しないことにもいろいろ言う人がいてもおかしくないでしょう。その様な人に礼儀知らずだとか言われるくらいであればいいです。ですが、なぜいつもいつも書くのか想像できずにごちゃごちゃ言ってしまうような人ですから、その悪評を他のことにまで関連付ける面倒な人かもしれません。そうなると色々と対処せざるを得ないことが起こり、余計な手間暇がかかるかもしれません。そのような非効率なことになるなら、挨拶を記載しておいた方が楽、となるでしょう。

先の堀江さんのような人に言わせれば、自分は不要だと言ってるのだから、書くな、とでもおっしゃるのでしょう。読み手に面倒をかけるな、といった感じで。
でも、それは現状では、自分のために書き手に面倒なことをしろ、と言っているとも思えるわけです。皆が堀江さんのように考えているかがわからないからです。従って挨拶文は誰が不要で、誰が必要かを覚え、相手によって変えなければいけません。Aさんは挨拶が必要、Bさんは要件だけでいい、などと。書き手にすると、もう、そうやって相手に合わせて変えることが面倒です。

既述の記事はネタがない時やブランディングなどに丁度いいのかもしれません。ですが改善が目的なら、これからは「お世話になります」がない、と非難する人にごちゃごちゃ言う内容にした方が良いのではないでしょうか。「お世話になります」と書くことより書かれることが恥ずかしい世の中にするのです。こちらの方が「お世話になります」不要派を増やせそうに思います。挨拶が無いことを非難するような人は、書き手より立場が上の人が多いのではないでしょうか。堀江さんやメディアに記事を載せられるような影響力のある方は、挨拶を書くな、ではなく、挨拶が無いことを非難するな、と、力の弱い方を攻撃するのではなく、力の強い方を攻撃して弱い方に加担した方が、効率的に効率的な連絡の実現ができるのではないでしょうか。
それまでは、ひとまず、メール冒頭5行くらいに「お世話になります」があると、削除してくれる挨拶ブロッカーでも作れば良いのではないでしょうか。