見えていないものがあるのでは

最近、私が利用しているいくつかのアプリで、使用中に画面が切り替わったり、開いているときに戻るボタンをタップしたりすると、広告が全画面で表示されるようになりました。
その広告を何度か見せられて辟易しているのですが、そうした広告に遭遇しながら、関係者はきちんと数字の背景を考えているのかな、と感じたので残しておこうかと思います。

その全画面に表示される広告は当初は単に表示されるだけでした。ですが、最近では、音が出るようになりました。
音が無い内は、その都度、広告を閉じながらこれくらいの手間は仕方がない、と考えていました。アプリは無料で使っていますし、作って何かしらの儲けが欲しい、という気持ちも分かるので。
ですが、さすがに音まで出されるとイライラが増します。今の所、私は経験していませんが、人の多いところで使っていたりしたら、人によっては怒りなどの感情を引き起こすかもしれません。

そもそも、こうした広告をなぜ表示させるのか、と考えると、アプリ運営側は収益を上げたい、ということでしょう。
また、広告主からすると、認知拡大や利用意向喚起、あるいは利用率増加などを狙ってのことでしょう。
広告代理店は表示させて自分たちの利益を上げる、ということでしょう。
こうして考えると、この3者は本当にメリットを享受できているのだろうか、と疑問です。

アプリ運営側にとっては先細りの原因になる可能性を秘めていると思います。
アプリの利用をぶった切る表示方法ですから、アプリ利用者はイライラするでしょう。イライラが高じれば、他のアプリに乗り換えられやすいのではないしょうか。データを蓄積し、移行ができないなどの不親切な障壁があれば使い続けてもらえるでしょうけど、それとて不満を持たれたままでしょう。移行障壁が有ろうが無かろうが、競合アプリの存在を知れば簡単に変えられる危険は大きいでしょう。しかも悪い印象を持っていますから、改善しても戻っていただけるとは限りません。さらに、悪い印象を持って別のアプリに移るので移行先のアプリをより良いものと感じことすらあるでしょう。
収益が上がって喜ばしいでしょうけど、収益の増加とともに、他に増加しているものがないか注意が必要ではないでしょうか。

広告主にとっても喜ばしいとは思えません。
アプリ利用を中断させたりしてまで、しかも全画面で表示させるので、アプリ利用者の中には広告の内容を見たり、覚えたりする人もいらっしゃるかと思います。その結果、認知率は上がるでしょう。しかし、それで喜んで良いのでしょうか。
単に認知率だけ見れば、高いのかもしれません。しかし、その認知はどういう感情を伴っているのでしょうか。認知率は知っているかどうか、というだけのことです。認知しているとは好感を持って知っているということではないでしょう。覚えてもらってもそれがネガティブな感情とともに覚えられてしまうと、おそらく利用してみようなどとはならないでしょう。
仮に操作に不慣れだったり、純粋に興味を持って利用してもらえるかもしれません。その場合は広告主にとっては良いことでしょう。また、利用者が使ってみて良かったのでそれを他者に薦めてくれるかもしれません。しかし、薦められても、嫌な広告をする会社ということで避けられるかもしれません。
利用してもらえても、マイナスな印象を持ち続けられ、他に何を行ってもネガティブな見られ方をし続けるかもしれません。
そして何より、利用までしていただけた人数の何倍ものネガティブな認知者を生み出しているかもしれません。このことを認識した上で、本当によかったのかどうか評価しなければいけないのではないでしょうか。CV数など色々出されるのでしょうけど、その数字の背景をしっかり考えたほうが良いのではないでしょうか。
広告が表示されるということは、その広告接触者の多くは潜在的利用者なのでしょう。そうであれば、たとえ広告を閉じられようともそこで不必要にネガティブな印象をもたれることは避けた方がよいでしょう。最近、よく就活など不採用の人もいずれ自社となんらかの関わりを持つかもしれないからぞんざいに扱わない風潮ができつつあるように感じます。これと同じようなことではないでしょうか。

広告代理店にすれば、出稿していただいて売上が立ってよいということでしょうか。
こんなにも大勢に接触できました!なんて言って、CVRやらCTR、CPAだのROAだの、それっぽい数字を出しておけば評価されるのでしょうか。
ですが、根本的に誰に対しても不誠実ではなかろうかと思うので、いずれダメになるのではないでしょうか。みんなやってるから精神でダメになったらその時はその時考えるということなのかもしれませんけど。

こういうことは皆わかってやっているのかもしれません。これでうまく回っているのならそれで良いのかもしれません。ですが、同時に見えていないだけで実はダメージを負っており、後から取り戻そうとしても取り戻せなかったり、取り戻せても膨大な負担が発生することになるかもしれません。今行っていることが「今」にだけ関連があるのか考えた方が良いと思います。