私もバーバラ

先日、小川洋子さんの「約束された移動」という短編集を読みました。
その中の「ダイアナとバーバラ」は、私の行く末が良い方にぶれた場合であり、今の自分でもあるようで、印象深い一編でした。

約束された移動 表紙画像


この「ダイアナとバーバラ」、内容は、バーバラと自称する市民病院の案内係をしている、おそらく高齢の女性の主人公が孫と時間を供に過ごすことと、女性自身のこととが語られていく、というものです。

バーバラの生活はおそらく、人も羨む生活からは遠い暮らしぶりではないかと感じます。自分を受け入れてくれる理解者などの親密な人もいないようです。そのような中で慎ましく暮らしながら、バーバラ自身は自分が打ち込めることを見つけ、満足しています。

その打ち込めることとはダイアナ妃が着ていたドレスを自分で再現し、着ることです。
裁縫技術を独学で身に付け、再現するために、本物に近いように見える生地などを探し回って作り上げます。
そうして作り上げたドレスを着て孫娘と外出をします。

バーバラが作ったドレスは袖を通すまでは、いい出来のようですが、素人のためか、着ている内に様々なほころびが生じて残念なものになるようです。
そのため、周囲の人も驚くようなみすぼらしさになっていきます。
さらには、バーバラ自身も誰もが良い評価をするようなスタイルではないようで、余計におかしな装いになっていきます。
それでもバーバラや孫娘は服が乱れていることを気にする程度で、恥ずかしさなどは感じず、いつものように過ごします。

これを読むにあたり、意識して自分に当てはめたわけではありませんが、自然と自分を重ねていました。
自分のこれからの暮らしぶりを考えると、うまくいった場合、馬車馬のように働く中、そうした中でもできる何か打ち込めることを見つけて、細やかにそれで息抜きをしていくようなものがベストなんだろうな、と思っているからかと思います。

そして、この話で、わずかに感じていた、そのベストの暮らしぶりにある現実を客観視させられました。
私も打ち込めることを見つけ、バーバラの洋裁のように取り組むでしょう。その取り組みはある程度は上達するでしょうけど、それは周囲からは評価されないようなレベル、と。

この話を読んでいて、痛みを感じさせられました。
とはいえ、バーバラの話を読んで痛みを感じさせられるのは、自分には色眼鏡がかかっていて、その色眼鏡で自分自身を見て、やはりどこか不満、無念さみたいなものを抱えているということなのかもしれません。
ですが、よくよく考えると、私はバーバラです。今、既に大いに恥ずかしい状況なので、バーバラのように見られているのだろうと思います。
さらに言えば、このブログはバーバラの作った洋服のようなものです。
ということは今の所、いい方向には振れているのでしょうか。

この短編集は全般的に、バーバラのように自分だけの楽しみを見つけて慎ましく暮らしている人達のお話、と感じました。あまり、登場人物の設定を細かく限定していないと思うので、読む人によって、あるいは、読むタイミングによって色々な捉え方ができる、独特な雰囲気が漂う短編集でした。