「センスは知識からはじまる」

先日、図書館で「センスは知識からはじまる」という本を借りたので、その内容を忘れない内に残しておこうと思います。

仕事であれ、ファッションであれ、そういった場で用いられる「センスが良い」などど利用される「センス」を著者の水野学さんがこういうものですよ、と説明する内容です。
そして、「センス」は誰にでも身に付けられる、と。



この本で説明されている「センス」を私は次のように理解しました。

まず、センスを発揮したいモノ、コト、などについての情報を収集し、整理します。
それらは知識としての情報もあれば、体験としての情報もあるでしょう。とにかくあらゆる情報です。
そしてその情報を元にポジショニングマップを作成。
その結果から、有望な空白があればそれを言語化する。 無ければ、再び、整理した情報に戻り、そこから新たな軸を探してマッピングし直し検討。
こうして何らかの課題に対する答えを導き出す。

収集した情報の整理ですが、私がイメージしたものは、表側に機能など、表頭に製品名、といった形です。
家電製品などのパンフレットや企業のサイトなどでよく見かける、製品を一覧できる表のようなものです。

これがこの本を読んで私が理解した「センス」です。
適切なのか不明ですが。

こうして書くと、集めた情報を整理する際の表側にどういった条件を置くかは人それぞれで、そこに何を置けるかがセンスじゃないの?と思われるかもしれません。確かに、この表側は分析をする際の軸でもあり、それは人によって違いが出てくるところです。
しかし、この問題はセンスを発揮したい、モノ・コトなどの情報をよりたくさん集め、理解が深まれば、自然と表側に置くことの質も上がって、皆が気付かないようなことで整理できるようになるのでは、と考えます。

「センス」と言うと持って生まれた才能の様に捉えている人が多いようですが、そうではありません、ということでした。


私は仕事で、自分が思いつかなかったことを誰かが提案したりする様を見ると、センスが良いなぁ、とは思わず、どうして自分は考えつかなったのか、その理由を考えてしまいます。
この様な考え方をしているので、違和感無く読めました。
ただ、私がこの本の様な考えをしていたのか?というとそうではないように思います。
「センス」の有る無しで片付けていると、良い提案をした人の先を行くどころか、追いつくこともできそうにないからではないかと思います。つまり、ただの負けず嫌い、ということです。

私が、もし、自分の考え方に気付き、そして、それを突き詰めて考えていけば、著者の水野さんのように役に立つようなことを考え出せていたのかもしれません。
それができない所が、自分の足りないことの一つなのでしょう。